マルタとマリア (2)  (ヨハネ11章38〜42) 

 ベタニアに住んでいるマルタ(姉)とマリア(妹)にはラザロという弟がいます。ラザロはイエスと親しいのですが、死んでしまいます。

 彼が死んで四日たち、イエスはベタニアにやってきます。このときもイエスを出迎えたのは姉のマルタです。マリアは家にいました。

 マルタはイエスに言います。
「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう。  しかしあなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえてくださることを、わたしは今でも 存じています

 イエス「あなたの兄弟はよみがえるであろう」
 マルタ「終わりの日のよみがえりの時よみがえることは存じています」
 イエス「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。
また、生きていて私を信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」
マルタ「主よ信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の子であると信じています

 イエスはマルタの信仰の言葉に感動され、またそこに来たマリアの言葉「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」 という言葉、そしてユダヤ人たちの涙をみて 激しく感動し涙を流されました。


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 そしてイエスは「ラザロ、出てきなさい」と言って墓の中にラザロを呼びます。
 ラザロが墓から出てきます。


 (1)はルカ書の話でしたが、これはヨハネ書の話です。

 マルタのイエスに言う言葉には、私たちの信仰宣言やミサの中で唱えられる
『罪の赦し、体の復活、永遠の命を信じます……』
といった言葉がいくつか出てきます。


 そう考えるとこの部分は単なる兄弟姉妹の話でなくて、私達の信仰を表現している内容です。
 現在私たちがミサの中で唱える使徒信条の言葉のいくつかはここの言葉の引用と思われます。

 マリアが言葉を発するのはここだけです。そしてイエスが親しかった人の死を悲しみ泣かれる場面も聖書中ここだけです。(ヨハネ11-32)


 参考:ヨハネによる福音書 10章38〜42
    小嶋潤「聖書小事典」社会思想社 p242-244

 → マルタとマリア (1) (2) (3)